izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

二人の伯父との確執


現在、S100号で滝を描いております。

私には二人の、人生に関わり過ぎた、とんでもない伯父がいます。

一人は母の兄の暴力伯父で、殺されかけた事も書きました。

もう一人は父の兄にあたる伯父です。
正確には父方の伯父は二人おりまして、一人は祖父の最初の妻の子にあたり、昔の事ではっきり知りませんが、父とその兄弟姉妹とは腹違いであり、祖父の長男への厳しさが辛くて(実母のところに行く途中に)私が生まれるずっと前に自殺したそうです。

祖母は、太平洋戦争中、2号さんだったそうで、その自殺した伯父の母で祖父の正妻は、日本におり、正妻の子供と、私の祖母と子供達が祖父と共に満州(中国)にいたようです。

実際の事は今は不明ですが、父が「◯◯ちゃんは、◯◯ちゃんは、(自殺したという伯父)おじいちゃんに殺された。」と、一度だけ口にした事があり、その事も真偽は、全く分かりません。

その伯父は墓に入っておらず、どこかのお寺にお骨を預けっぱなしにし、その頃としてはものすごく小さい仏壇が、私達の目にとまらない様に、鍵のかかった部屋(たまたま入る機会があった)に置かれて、何も供えられていませんでした。

問題はその弟にあたり、私の祖母の長男である田舎で最初に博士号を取った(これも祖父談で真偽不明)歯科医の伯父で、幼稚と云えるくらい見栄っ張りな人間でした。

私は幼稚園、転校前の小学校で、言葉だけではなく、かなり酷い腕力による暴力のいじめに遭っています。

そして父方の油絵を描く叔母の息子である従兄弟が、いつも私をかばったり、守ってくれていました。

因みに幼稚園、小学校のPTA会長とかに、問題の伯父の妻がなっていたのです。

私の苗字はおかしなあだ名を付け易いものでした。
変なあだ名を付けて言葉いじめに遭いました。
ところが隣のクラスに足を踏み入れると、従兄弟(その伯父の息子)は◯◯氏(うじ)と呼ばれていたのです。(祖父がこれも真偽不明のおそらくでっち上げの家系図を持っており、これによると清和天皇の流れと記されていて、そのくだらないものから付けられたニックネームです。)

私に「医者になれ。」と幼児の頃、父がよく言っていました。そして、私立の幼稚園の知能検査で私が幼稚園内でトップを取ってしまいました。
二人の従兄弟は同期生で、一人がその伯父の息子、もう一人も(これも問題の伯父の息子)2歳違い、私の上の方の妹と同期で、幼稚園に所属していました。

そのあたりから、もの凄いいじめが始まった様に記憶しています。

そして小学校に上がった時も、入学式の翌日、奥まった場所に3人の同期の男子に連れ込まれ、殴るの蹴るの、幼稚園時代を越えるもの凄い事をされ、小一の私は声をあげて泣きながら父が切り盛りしていた店に帰り、父が抗議の電話を小学校にかけました。

すると翌日、小学校の初めての担任は、就任早々、教頭とかに自分が注意を受けた事にムカついたらしく、事もあろうか、暴力行為を行なった男子を叱るのではなく、親に告げ口をした事を、力のあるものの影に隠れて汚いと言い、告げ口をした私を叱ったのです。

そのため私は何をされようと、親に告げる事が出来なくなり、それを良い事に担任まで一緒になって、私に対するいじめを行う様になったのです。

2年生以降の担任は、注意する立場を取りましたが、あまり効果的ではなく、私が給食場(帰りの時間はほぼ誰もいない)に、連れ込まれて殴る蹴るされているのを、別の教師が見かけても、数人に捕まえられてそんな事は出来ないのに、「早く帰りなさい。」と、私に一言言うだけで、そのまま行ってしまい、全ての教師が全て知っていましたが、小学5年くらいになって校長が代わるタイミングまで、私を助けようとする教師は居ませんでした。

まあ小学4年の時、女子数名が不良4人組だか5人組だか名乗って、教師を押さえつけ、授業が出来ない状態にし、(反乱?)を起こし、男子や先生を凍らせた時、何故か彼女らは、私を擁護し、私へ対するいじめを阻止してくれたりした時期も有りました。

とりあえずその小学校で、(隣のクラスに例の伯父の息子がいた)とんでもない目に遭いました。

油絵に私をいざなったとも云える伯父や父の妹である叔母の息子も同期でしたが、彼は私に対するいじめを行う者達がやってくるのを察知すると、先回りして私を隠し、助けてくれていました。


その後私は母の都合で転校しています。
母の鈍感さには呆れていました。
私の服の下が血だらけなのを察知せず、おさげの三つ編みにしていた私の髪が引っ張り回されてボロボロになるのに、参観日に私の髪を見て、
「三つ編みやめようよ。ほどけちゃうみたいだから。」なんて言うのです。
あとで今も残っている、Y.M.という異常者の同級生にコンパスで刺された跡(鉛筆の部分の墨(?))が残っているものを見、初めて彼女は食器を買っていたその生徒の血縁が経営する店との取り引きをやめたのです。
大叔母はとっくに気づいている事でした。

そういったいじめの影に、小さい町でその頃、割と力があった、伯父が関係ないわけがないのです。

そして、問題の伯父ですが、私が国立大学附属の中学の次にレベルが高い、そのミッションの女子校の入試に合格すると、たまたま駅前にあった自分の歯科医院の隣の駐車場で私に立ちはだかり、私に「私立に行ったらお母さんが可哀想だからやめろ。」と、延々2時間くらい説き伏せ続けるのです。

伯父の頭にある事は分かっています。
自分の私と同期生の長男が一般の公立中学へ上がるからです。
その証拠に次男に勉強をけしかけて、2年後、何とかその国立大附属へ入れています。
全て忘れられたと思った頃に同期生長男は、「僕は病気で手術したから国立附属へ行けなかった。」などと語るのですが、手術とその後の療養期間が特に長くなかった事を私は知っています。

とうとう私は、「言う事は聞かない!」と叫んで、立ちはだかる伯父を振り切りました。

そして、今度は学校を中退した時、全く同じ駐車場で、今度は、「学校をやめるな!」という主旨で、数時間に渡り説教をしました。

また同じ結果となりました。

その後、祖父母のお葬式や法事で会う度に、彼は私に禅問答(決して禅宗に関するものではないです。)を仕掛けてはやり込められ、その仕返しとして、祖母のお葬式に、本来の私の席順とも云えるものをとばしてみたり、また母の失踪に新興宗教団体と共に関わっている事を、ある人間を介して知る事になったのです。