izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

現代医学の落とし穴➖新たなる医療業界の集金術➖

うちは亡くなった夫を含めて全員、テレビは一切、見ません。
(勿論、NHKの受信料など支払いません。)
何故、見ないか。見るだけ阿呆らしい番組が多く、更に自分の専門分野やよく知っている外国人アーティストなどについてテレビが放映する時、テレビには事実ではない情報が溢れていると感じるからです。
でもニュースだけは見ていた時期が有り、しばらくテレビを一切見なくなって、ケーブルテレビが出来た頃、(古っ!)ニュースだけ見るために、一度だけテレビを見る事を再開した時期が有るのですが、インターネットや新聞と違って、自分の知りたいニュースに行き着くまでに、自分にとってどうでも良いニュースをいくつも見なければならず、効率的でなく、「こんなもの見ていられないわ。」と思い、再度、テレビを見る事をやめました。

ところが自宅外で、たまたまびっくりする様なテレビのコマーシャルを見たのです。

「認知症と感じたら、すぐ病院に行きましょう。早期発見で認知症は治ります。」

と云うコマーシャルです。
「おお、とうとうこんな事まで始めたのか!?」と、思いました。

成人病と呼ばれたものを生活習慣病と言い換えて、とりあえず検査して患者を確保する医療業界について、近藤誠さんが詳しいですが、例えばメタボリックシンドロームの規定が他国での基準より日本が狭く、かなり太っていない人でもメタボリックシンドロームであるとされたり、健康な血圧が、かつての基準からどんどん下げられ、簡単に高血圧患者と呼ばれたり、と、「何故そんな事が起こるのか?」と云う現象の中、医療に取り込まれ、薬を処方され、つまり医療業界、薬品業界を潤すのに一役買っていると、近藤誠氏は指摘しています。

そして「がん検診で早期発見」と云うキャンペーンの元、転移を避けるために発見されたばかりの小さながんを人々は躍起になって摘出しますが、そもそも、発見される大きさのがんには既に転移能力が有り、発見された時にはもう転移しているので、早期発見も早期手術も無意味であると云うのが近藤先生の主張であります。
私は全くその通りだと思います。

それが認知症早期発見と云う、馬鹿らしいキャンペーンが始まっているのを見てしまうと、「おいおいおい。」と、思いました。
やっぱり近藤誠さんの言う通りだ。と、心底思いました。

認知症は基本的に治らないし、早期発見の意味がないです。

早期発見で認知症予備軍に登録されるか、認知症と診断されて害でしかない薬などによる治療が開始されるか、どっちかと云う事になります。

基本的に治らない、と書いたのは、実際は治るケースが有り、それは良く知っている方の家族の例だったりするので、特別な場合の認知症治癒例を記します。

Aさんのお母様は、認知症と診断され、病院にAさんが行ってみると、身体拘束を受けており、確かに呆けてしまっていたそうです。

しかしAさんは、医師らの反対を押し切って、お母様を退院させて、拘束を解いてしばらく介護していたところ、みるみるお母様は良くなって、認知症が治ったそうです。

病院が勝手に認知症と診断して拘束や投薬を行った場合の例のみ、そこから解放されれば認知症が治る、と云うか元に戻れるラッキーなケースもおきます。

とりあえず、近藤誠さんが亡くなった後に始まった認知症早期発見(早期発見で治ると言っている)キャンペーンは、もう信じられないくらい怪しいです。

昔のお年寄りは「わしも呆けた。」と言う事があっても呆けを治すために病院へ行ったりなどしないものでした。

祖父も呆けて眠る時間が少しず長くなっても、その頃それは「呆け」は「呆け」であり、病院へ行って治療するものでも、まして拘束される理由でもなく、年寄りの自然現象でしかないからです。

とりあえず、医療業界が出す広告は、相手にしないに限ります。

アクリル・アキーラによる制作、終わりました


「無常(一切がうつろう)」(F6)

しばらく描く時間が取れなかったのですが、最後になった二作品、本日、完成とします。

上の作品は亡くなった師には「ペインティングナイフは使うものではない。」と、躾られたのですが、ある作品にペインティングナイフを多用したところ、「君の場合は品が有るからまあ良い。」と、言われた事が有り、今回は多用してみました。


「ジプシーの子供達」(F6)

「ジプシー」と云う言葉は、現在では差別用語になってしまうらしく、ロマと呼ぶのが正しいとされる様になって来たようです。

しかし、「ロマ」の意味は彼らの言葉で人間を意味するとか。

なんだかある人達を「人間」と呼ぶのってどうだろう?と思ってしまいます。

ジプシーは犯罪を平気で犯す人達、と云う我々の一種の恐れが、「ジプシー」と云う言葉を差別用語指定してしまった様です。

法的意味でも、好きなところへ行き定住しないと云う意味でも、その自由さを讃える時、「ロマ」ではなく「ジプシー」と呼んで良いのではないかと思います。

さて、1〜2週間休んで、油絵制作をする本来の自分に帰着しようと思います。

本日は二作品、仕上げました


「ジプシーの子供達」(F6)

良い意味でも辛い意味でも自由に暮らすジプシー達。遠い森の向こうには街が有り、ジプシー達は別の街への旅の途中です。

その合間の休息に先を歩いてみる男の子と女の子。

実は、浅黒い人々を描いたのは初めてです。
インド人を描いた事は何度か有りますが、色白のアーリア系という設定で、(黒人を描いた事は有りますが、)微妙に色黒の人々を描くのは難しいです。


「LAにて(自画像)」(F8)

向かって右のまぶたを光があたるだけにして、漸く私の顔らしくなりました。
首の辺りも塗り直しです。
以上二点仕上がりとします。


(タイトル未定・未完成)(F6)

今回、(買いに行くまでは)最後の綿キャン使用の作品は、半具象半抽象です。

手前の女性を裸にするべきか?あるいは肋骨から下が白骨化している様子にするとか?

いや、しないかもしれないけど、まだまだ自由に遊べる作品です。

全部で3作品、描いています


「ジプシーの子供達(未完成)」(F6)

アクリル(ほぼアキーラ)作品、ラストスパートです。

まだ未完、もう一点はまだ非公開です。
「ジプシー〜」は殆ど出来上がりました。
でももう少し、描き込まないと。

以前はもっと、「完成作品」と決める時、かなり自分に甘かったと思います。
ここしばらくのアクリル、アキーラ作成で、完成を決める視線がかなり、厳しくなりました。
それでも自分では駄作だと思ってしまう作品が今回は有ります。

自分を納得させる事がとても難しくなっています。


「LAにて」(F8)

今朝、アクリルのジンクホワイトを問題の向かって右の目のまぶたにかけました。
でも、まだくっきりしすぎており、明日、再度、まぶた(のような膨らみ)を少し消さねばなりません。

自画像、出来上がって来ました


「LAにて」(F8)

向かって右のまぶたをシャープに描きすぎているので明日以降に直します。

現在はもう少々、年季の入った顔になってしまいました。

入院中の食事事情が悪く、小太りの私が50kg程度まで痩せてしまったので、その時は鏡を見て、「骸骨のようだ。」と感じました。

体重を元に戻すのも大変でした。
尚、私は近藤誠さんの考え方について「全くその通りだ。」と考えている人間なので、年をとって来たら、体重は小太りが最も健康的であると考えています。


「ジプシーの子供達」(F6)

20世紀前期の頃のジプシー達を描いています。
女の子にはパンジャビー・ドレスを着せて見ました。

ジプシーの発祥はインドだそうで、インドの少女は、大抵、パンジャビー・ドレスを着ています。

ジプシーは別の文化を持っており、もっと違う格好をすると思いますが。

師の先輩が書かれた本にジプシーについて詳しく書かれており、半分、信用してはならない人達と云う印象と、自由に暮らす羨ましい人々、と云う印象が有り、この根無草の自由な民族への一種、憧れが、この作品に込められています。

自画像を更に描いています


「LAにて」(F8)

少し目が大きくなり過ぎました。
また目の周り、目自体もまだまだ出来ていないし、肌その他、背景も仕上がってません。ロサンゼルスで、ちょっと痩せていた頃です。

他に2点、並行して描いていますが、合わせて3点、仕上げたら、しばらく休んで、今度こそ油彩画家として復帰を果たすつもりです。

すっぴんの自画像


「自画像(タイトル未定)」(F8)

私は個展の時などはかなり厚化粧をするので、(facebookに載せている写真も個展の時のものです)すっぴんの私を知っている絵画関係の方は、アートスクールで会った方や先生方、後は画廊関係や絵の運搬の方々に限られます。

アートスクールへ行っていた頃、髪を後ろで適当に括っていたので、髪を垂らした状態の私を知っているのは、絵とは別の付き合いの方々や友人、家族、一部の親族など、雅号ではない私を知っている方が殆どと云う事になります。

50代の女性(シニア?大人?それとも初老?)のおしゃれが身に付いておらず、相変わらずロックバンドをやっていた頃とかわらない、ジーンズにTシャツ、そのまま垂らしたロングヘアのままです。

因みに描いているのは、パーマが取れていた状態。
友人に写真を見せると、(パーマが取れているので)「貴方じゃないよ。」と言われました。


「人体解剖図➖幸福の絶頂に於ける脳➖」

こちらは仕上がりとします。