izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

遅い青春の更に遅い幕開け


若い頃の私。写真を描いたもの。

母方の伯父叔母、そして祖母も居なくなって、(但し祖母とは大人になってから友情を築いており、不思議な関係です。)とてもスッキリしてしばらく生活を謳歌していましたが、

大叔母の夫(義理の大叔父です。)と、二人の子が居る暴力伯父の家の間に、私が6年の時に母名義の家が建てられたのですが、(そろって新築住宅へ移ったのです。)

最初伯父名義で土地の一画を買うので、それぞれ母と大叔父に金を負担させるつもりだったようですが、それぞれバカではなっかったらしく、一画をそれぞれの必要な三等分にして、それぞれ別の家になったのです。

祖母と母方の叔母は母名義のうちの2階に住んでいました。

取り敢えず私の鬱陶しい人間達は私が15〜16歳の時に伯父の事業の失敗で逃げ、保証人のような立場の母の妹も逃げ、そして辛い事にこちらも保証人だった、大叔父と大叔母夫婦も田舎へ帰ってしまいました。

後に大叔母は夫を田舎に置いて、私の側に同居する形で帰って来ています。

親族同士の家なので、家と家の隙間が法的にOKな1メートル未満でくっついています。
今度は他所の人達が母名義の家の両隣に入って来たのです。

で、私は真面目に自室で漫画を描いており、主に出かけるのは11時から母の...いやいや父の会社に出ている大叔母と一緒で、商店街でショッピングしたり、喫茶店へ行ったりしていましたが、小さい大叔父叔母の家を買った人間は元は自分の娘用だったらしいですが、その娘というのが私より一つ2つ年下でした。当然学生で、出発や帰りの時間が大叔母と9時頃に外出する私と噛み合わず、私の事を引きこもりだと間違えて甘くみていました。
いつも姉だか叔母だかと来て「何だそりゃ。」というような陰口を叩いて行きます。
面倒なヤツは無視というところで私はハードロックをガーンとかけて無視します。

ところが大叔母が大叔父の様子見などで田舎に帰ってしまった時期、(その後すぐ大叔父は肝臓がんとなって暫くして逝去しています。)

その間に世間から私が私立の女子校をやめているといった噂を得、増強した隣の女と女同士の戦いとなって行きました。

お互い、顔を知らないのです。
私はある日、出かける時初めて、バカボンによく似た彼女の顔を見ました。

そして彼女もその頃すらっと痩せて醜くはない私の顔を初めて見、狼狽え、ぶるぶる唇を振るわせていました。

因みにイギリスではにっこり笑いかけるのが挨拶でしたから、にっこり笑いかけました。

彼女はぷるぷる震えていました。

私は決して引きこもりではなかったのです。
漫画を描くには場所や景色の取材が必要でした。

近い所、四国を歩いたり、金比羅山を登ったり、近県へ行ったり、東京から九州へフェリーで行ったり、インドにもパッケージを使わずに(まだ10代で)出かけております。

その後、他のヨーロッパの国々や北アフリカにも足を伸ばしています。

それから彼女とその家族ら等との対立関係が始まりました。

色々あって、23の時に神経の衰弱から自殺行為がありました。

その時の対立は第2ラウンドは私が負けて、5階位のビルから実際に飛んだのですが、ギリギリ追いついて助けようとした人に助けられました。しかしその反対でもありました。

初めて母によって入れられた病院がどれ程酷かったのか、しっかり伝えたので母でもその病院に入れるのはどうしても嫌だったようで、その頃、私と一方的に結婚したがっていた男性がおり、(私は全く関心無し)

母はその男性の伝手で私を何故かとても評判の良い共産党系の病院に飛びおりたビルの有った県から移しました。

そこで同系列の総合科病院でも働く男性に優しくされて、留学中の性的事故(Cは行ってません。)を忘れたくて恋をしてしまいました。

それから田舎に恋人を残して、自分の新しい夢のために、ロックミュージシャンになりたくて、その23の時、退院間もなく、上京して行ったのです。