izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

夫との出会い・ロックバンド・そして結婚


「現在の夫」F8。

「心の傷」「少女期」から続く。
ミュージシャンになりたくて上京して、とりあえず、なったのは工事現場の警備員(ガードレディとか当時は言われてました。今は知りません。)です。

入社研修で入院歴とかがダメと言われたんですが、(その頃、田舎の共産党系病院が薬を郵送して、相談に乗っていましたが、)「知らないふりでやり通してみて。ダメだったらまた他にすれば良い。」と言われ、医者の診断を受けるんですが、簡単にクリア。
因みに当時、共産党関係者も警備員にはなれずでしたが、それも特に関係者とも言えずクリア。
一日一万円は女には美味しい仕事です。
テカテカのお日様の下の暑い夏もテニス部にいた人間にはへっちゃらです。

しかし、しかし仕事ばかりになって、そもそもバンドメンバーの探し方が分かっておらず、

結局、田舎の彼氏に連れ戻され、帰って見てビックリ、他の女と交際しようともしていたのです。
20近く年齢も違い、結局、合わず、別の彼氏を作って再度、私は上京しました。

その彼とは、やめるとの約束で付き合ったのですが、一族郎党新興宗教信者で、やめるどころか、ビデオを見せたり本を読ませようとしたり体験談を語ったりものすごい勢いで、ちんこう宗教を押して来るやつで、私を殴って金を取られ、更に破談になっています。

前夫がよりを戻そうとしたまま東京に留まりましたが、その頃はバンドメンバー募集の仕方とか分かるようになって、自分のバンドにこいつは私を理解できるヤツ!を見つけたら、とっとと前夫と別れ今の夫であるその人と同棲を始めました。

歳も近い、本当に初めての本物の恋愛でした。
こいつが私を理解出来るヤツかテストもしたのです。

シオンの「12号室」という曲を聞かせたところ、涙をポロポロ流して、自分の事を暴露したのです。(12号室で反応する人間は大体が入院歴があります。)


若い頃の夫(畑はイメージ)こちらも田舎者。

その頃前出の患者を閉じ込めるのに反対して周りからご本人自体「狂ったのか?」と言われながら街に診療所を初めて作った浜田晋氏をして、「あなた、本気で結婚するつもりですか!?彼は✖️✖️病ですよ!本物の!」と狼狽えられたのです。

変な話、引越しさせておいて全く彼が働けないので、私はその頃一応、準社員のような形の雇用形態も含めてテレフォン・アポインターとして仕事しており、彼を養い、日曜日に大体バンド活動していました。

あるドラマーが、私を引き抜きに来ました。
一応業界の人で、ギターもベースもこっちで揃えた。事務所もこっちで作ると言い、私はつい話を聞きに行き、その時、彼氏だった夫はさめざめと泣いたのです。

しかし、「髪を3色に染めろ、メイクしろ、紫のスカートを履いて歌え!コピーして歌うとしたらZZTopだ!」という考えに私はついて行けず、散々、お酒を飲まされていましたが、丁寧に断りました。

「あのY(彼氏)が好きなのか?」と、見透かされて聞いて来られ、「好きです。」と言うと、「やめとけよ!あいつとじゃ、あいつじゃプロにはなれないんだよ!!」と言われました。

最終的には諦めてくれましたが、この美中年のドラマーはその後、私達が運命のギタリスト・ツトム君に会った後も暫く一緒にセッションしていた事のある方です。

私はキーボードで作曲しますが、ギターで素晴らしい出来栄えのオリジナルをどんどん作れるツトム君は凄いギタリストでした。
しかも、彼は病気持ちではなかったけれどおそらく適応障害であり、仕事が続かず自殺まで考える子で、だから何とかしてあげなくちゃ。と思いながら、ここにドラマーは入れ替わり立ち替わりしましたが、私達は最高のトリオだったと思います。

私は月曜から金曜までサラリーマンの様に勤め、日曜日にバンド活動したり、ツトム君も自宅に呼んでその頃は「ムッシュ・サカイのカンタンフレンチ」とかいうレシピを買って、フランス料理をご馳走するのです。
飢え死にさせないために。(当時はご飯とか全て作っていました。・作れていましたとも言う。)(現在はコープの出来合わせだったりします。)

日本では何故かミュージシャンまで心が健康な人の分野です。

しかし欧米は結構、心に傷や病んだ魂抜きでのバンドはつまらないという風潮すらあります。

結局、私は彼氏と隠れて結婚していましたが、貯金通帳か何かでツトム君にもバレてしまいました。

ギクシャクが始まりました。
ツトム君ももしかしたら、私を少し好きだったのかも知れません。

新しい夫とツトム君の間がギクシャクし始め、
私は新しい夫を連れて一度田舎へ帰る事にしたのです。