izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

新制作は遥かなる道のり


去年、入選を「最後の審判」に譲った「キリストの洗礼(滝)」。

今日も用意したエスキースが通りませんでした。
そして、去年、「最後の審判」が入選して、落選した「キリストの洗礼」の描き直しが、最初の重大課題となりました。


最後の審判」(自分による撮影)

今日、行ったのは上野の森美術館大賞展用と女流展用の最後の仕上げです。

結構、自分では嬉しい仕上がりになりました。

しかし、しかし、滝です。キリストの洗礼です。

私はかなり個人的に楽しんで描いた、キリスト教の絵なのに下の部分では、一休禅師を含む仏教僧が、一休骸骨と戯れる層があり、その上に自分的には少々、嫌々ながら、(キリスト教も仏教もイスラム教も、他の多くの宗教も(新興宗教などはのぞいて人の救いとなるものが殆どであり、私は宗教に線引きはしたくないのです。)中世のキリスト教の神官が、カタコンベから引き出された骸骨に聖パンやキリストの血であるワインを与える姿に描き変えたのです。

しかしながら黒衣の修道僧は、わざと貧乏坊主の衣を纏い、人の頭蓋骨を木の棒に下げて、「御用心!」と人の宴を笑う、一休禅師と殆ど見てくれは代わりありません。

この絵は心の中で大笑いしながら描いた、そんな作品で、初めて完成図を披露しました、「キリストの洗礼」が軍配が上がる(これも大天使がタバコを吸うなどその他もジョークまみれな作品です。)事を私は信じて疑いませんでした。

何でこの滝の絵を一度壊して、描き直す事になるとは、思いもよらない事でした。

まだ何も構想が出て来ません。