本日より新制作展が始まりました。
「大作」というと貴方は何号をいうかと聞かれて答えられるでしょうか?
50号以上だったり、100号の事と思ったり。
私もつい最近まで、大作とはF100やS100の事でした。
今年、私の最大の大作S100号とP100号の連結作品(計測不可能)を破って、その次に大きかったP200サイズの上の写真の作品に今回、軍配が上がりました。
自分としては最大の作品の補欠のような意味で今回の作品を描き上げたので、そのびっくりは果てしないものでした。
自分が最も良いと思うものより他者(協会員方)がよいと思うものに驚くべき落差が生じていたのです。
しかし?かつて一休さんだったキリスト教の僧侶も、陰膳のようなものを持った禅僧もミサを行う修道僧に代わり、一休骸骨だけが、嬉々として全ての墓のものとして地に現れ、
そこだけが禅宗の韻を踏んでいます。
ミケランジェロの模写が強すぎて、今回、本命の「キリストの洗礼」が敗れてしまいました。
しかし観る人こそが主人公であり、「最後の審判」は選ばれたのです。