izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

滝(ルルドのマリア)制作中です。今夜はダ・ヴィンチについて


ルルドのマリア200号以上計測不可(現在)

命を込めて「ルルドのマリア」を描いています。

S100とP100の連結からなる、「キリストの洗礼」の進化バージョンです。


聖母マリアとベルナデット・スビルー

聖母はダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」(ナショナル・ギャラリー所蔵)を元に描いています。

ダ・ヴィンチの「巌窟の聖母」はほぼ同じ体型で二枚が存在し、両方とも黒衣ないし黒衣に見える衣とオレンジの布をまとい、黒い宝石を身に付けています。


ナショナル・ギャラリー(ロンドン)所蔵


ルーブル美術館(フランス)所蔵

例えばボッティチェリによる聖母は、

こうであり、
ミケランジェロによる聖母も、

①無表情である。遊び女の様に笑ったりしない。
②絵画の場合、青、赤、白の組み合わせ、またはそのいずれかの組み合わせの衣を羽織る。

という特徴がある事を以前のブログで述べましたが、この「巌窟の聖母」ナショナル・ギャラリー版は青い衣が影で黒く見える、黒い宝石も実は青かったのかもと、百歩譲って申す事も出来るかも知れませんが、ルーブル美術館所蔵の方は、明らかに黒衣を羽織った黒い宝石を身に付けた女性なのです。
そして、にこやかに微笑んでいる点が、他のルネサンス初期の巨匠と明らかに違う点です。
カトリックでも正教でも黒衣の聖母は他には見られないのではないかと思います。
ラファエロの聖母もにこやかだったりしますが、彼はダ・ヴィンチの弟子にあたるとも言える人物です。

ダ・ヴィンチは30体以上の遺体を解剖した解剖家(というのか?)でもありましたが、私は、絵画を正確に描くため石像を完璧に造るためのミケランジェロによる解剖とは少々、異なっている感があり、自分という人間の生命についての探求、そして、死ななければならない自分の運命への抵抗のような、

他の人は納得している。悪い人も納得して悪事を行うところの、良い人は天国へ行きます。悪い人は地獄へ行きます。といった一般的なキリスト教の教えで全て納得できない、本当の事は自分で知りたいという欲求が、あらゆるタブーを通して満たされるのを望んでいたからこそ人体解剖に望んだものと思います。

彼はホモセクシャルである事が有名で、買春の罪で2度逮捕され、一度は牢獄で苦しんだそうです。

ところがこのご時世、他にミケランジェロ、ヴェロッキオ、ボッティチェリまでもが、男色の罪で逮捕されていますが、有名なヴェロッキオは事実として他の二人はプラトニックのレベルだと思われます。

つまり、禁じられる事は、とりあえずやってみて、自分で判断しようとした傾向があります。

因みに、こちらはかの有名な、

モナ・リザ
なのですが、「モナ・リザ」(リザ・デル・ジョコント)という女性は、この絵の最下層に居るそうです。
亡くなる寸前までレオナルド・ダ・ヴィンチはこの少女の絵に加筆を続けています。

そして最後の層を飾ったのは、弟子で恋人のジャン・ジャコモ・カプロッティであるといわれています。

彼は以下の絵でもモデルとなっています。

「洗礼者ヨハネレオナルド・ダ・ヴィンチ

二つの顔に一致が見て取れませんか?

故に私はレオナルド・ダ・ヴィンチを個人的に変わったお人と呼ぶのです。
何度も言いますが、今回のレオナルド・ダ・ヴィンチの「巌窟の聖母」の採用は、あくまで、画面を暗くするのが目的です。