izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

「ルルドの聖母」に挑戦


レオナルド・ダ・ヴィンチの聖母をミラー機能で右向きに。

今回は「ルルドの聖母」を描くために、模写の対象を大好きなボッティチェリと、個人的に気味の悪いお人と思っております、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵から探しました。

両方ともに、右に顔を向けた聖母像が、めちゃめっちゃ少ないのです。

今回、絵の左端に描くので、聖母は右を向いている必要があります。


まあ描き易さのせいかも知れません。
右利きの人間は左向きが描きやすいと思います。
でも左効きだと逆です。

そうなると、何故だ!?と思ってしまいます。
ボッティチェリは右利きかも知れません。(でも左効きかもしれませんが)、

レオナルド・ダ・ヴィンチについては、左効き説と両効き説があります。
(実は両効きでむしろ右効きなのでしょうか?)


ボッティチェリでは一点、右向き聖母を見つけております。


こちらになります。目がきつくて、ルルドの聖母の私のイメージに合わないです。

結局、今回は、ちょっと変なダ・ヴィンチの聖母を選びました。

何が変かと云うと、カトリック(聖母を崇める主な教団)においては、聖母の服の色が、決まっています。

ヨハネには赤い衣を着せるみたいに決まっています。

それは赤と青と白で、そのうち二点を組み合わせる場合もあります。


前回、描きました「ザクロの聖母」のやはりミラー機能で向きを変えたものの模写。
見事に赤、青、白で成り立っております。
(前にいるキリストは成人姿)

ところがダ・ヴィンチのこの聖母は青というより黒衣。
しかも黒い宝石を身に着けています。

え、いいのか?これ?と思いました。
とりあえず、最初は光輝く岩からなる画面を暗くするのが目的で、この聖母を選びました。

しかも他の羽織っている衣の色が、オレンジで、一般的な聖母の服装のセオリーから逸脱しています。

ダ・ヴィンチはにこやかな聖母を描く点でも他と異なっています。
ボッティチェリの聖母もミケランジェロピエタも、処女にして神の子を産まなくてはならない運命、そして、おそらく自分より先に神の子として死んでいく、あるいは死んで行ったキリストを抱いて、ただただ無表情をしています。

しかし女というもののおくゆかしい描き方を知っているはずのダ・ヴィンチの聖母は、普通の女性並の微笑みを讃えているのです。

この絵は前回、「最後の審判」に敗れた「キリストの洗礼」の描き直しに登場します。

「キリストの洗礼」は別のタイトルの別の絵として蘇ります。

描き直し中のジョン・レノン演じる洗礼者ヨハネと、ヨハネの洗礼を受けるロバート・プラント演じるキリスト。
(現在、描き直し中です。)