izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

ボッティチェリへの劣等感


ボッティチェリの「柘榴の聖母」の反対向きの模写。(キリストなのかよく分からなかった後ろ姿をキリストと断定させるマリア像です。)

ボッティチェリは、ご存知の様にテンペラで絵を描いています。
よってより細やかな表現が可能です。

多分、ザクロの聖母、それ自体が、私が描いたもの(200号の一部分)より、大きい絵なのも、仕方がない理由です。
本物はダ・ビンチのモナ・リザさながらに、まぶたが、線を引いた暗い部分から、ゆっくり肌の色に、変わってゆくのですが、大きさ的に無理だったのと、また、画法の違いが、肌の色の違いや、雰囲気、更なる細やかさの点で、「そのままには描けなかった。」という、悔しさを私に感じさせます。

まあでも、ここに中世〜ルネサンス風のマリアさまを描いて、キリストをキリストと言わしめよう。
とした私の作戦は成功したと思います。

しかし、やはり巨匠との開きは大きく、ミケランジェロの父なる神に着色すると、私は同じ敗北感を味わうかも知れません。

しかしながら私は現在絵画の画家であり、現在の画家の行う範疇で、勝負して行かねばならず、その上では、この模写は、両方とも、成功したと言えると思いますし、

私自身、気付かぬうちに、自分がボッティチェリが描いていた様な、微細な絵も描ける様になって来ている、という、画家としての自信には、充分に繋がる、今回の作品の二箇所でした。


「ザクロの聖母」ボッティチェリ


天地創造」の一部。(ミケランジェロによる。バチカン/システィナ礼拝堂の天井画。)