izumi-akie’s diary

画家・和泉暁絵の部屋

スメット神父とイコン


イコンに見立てた聖母子像(F4)。(ギリシア正教的にキリストを描いたつもりです。)

私は禅宗(臨済宗大徳寺派)の信徒ですが、母が疾走したおり、通った学校がミッションなのもあり、寂しさから尊敬していたシスター(三宅聖子さん)につい電話をかけてしまいました。

久々にお話しした事もあって、キリスト教が恋しくなり、教会への行き方をうかがいました。

そして、主人と息子と共に、一度洗礼を受け、堅信まで行ってしまいました。

そこの神父はムッシェ氏と言いましたが、後で騙し討ちに遭い、私は教会を離れました。

洗礼を授けるなり、予告も無く私の自宅を訪問し、私が家の中には入れないと静止するのを振り切って自宅内に推し入り、特に問題無く暮らしいていたのに、幼児だった息子を児童相談所へ連れて行くべきだと主張し、信徒として宣教師には絶対服従の掟が有ったため、私は泣く泣く息子を児童相談所に預けさせられたのです。

しかし、笠岡教会にいらしたスメット神父はそのような営業マンのような方ではありませんでした。

まだ洗礼を受ける前、初めてお会いした時、たくさんの人の中、すぐに私を見、私のところへいらっしゃり、私に祝福を与えて下さいました。
そして何枚かのイコンを私に下さったのです。

長崎へ津和野へ巡礼のおりは、(キリスト教に惹かれてしまったのは単純に言うと、津和野のマリアさまの記念日が母の誕生日と同日だったからです。)よく笠岡教会へよって、スメット神父に会い、マリア像を購入したり、お話しをしに行きました。

そしてスメット神父はイコン(金箔に描かれた聖画)のマニアであられたのですが、後にお茶の水のハリスト正教会で、私は本物のイコンというものはカトリックプロテスタントのものではなく、ユダヤ教と、キリスト教の境とも言えるギリシア正教(ロシア正教)のものである事を案内の信徒さんのご説明で知る事になりました。
即ちキリストを預言者と考えているけれど、正教では神格化まではされておらず、だからと言ってユダヤ教の様にキリストを罪人扱いはしていないという事でした。

話を戻しますとカトリックとは訴訟沙汰を私は起こしています。

そこでうちの息子にそのような事実が無いのに、息子がダニに血を吸われ血だらけだったなどと不躾なシスターや信者は陳述書に虚偽を書きました。
そして私が教義であれ従った事が裁判所の宗教性に似つかわしくない事で高等裁判所まで持ち上げましたが敗訴しました。

施設で子供は私と口を聞く事をシスター達に禁じられていましたが、誕生日に自分でケーキを焼いて持って行った私にたまらず泣きつき、「かい(同室の子供)がいじめる。他の子が味噌汁をこぼすのに僕のせいになって僕が、いつも僕がシスターに叱られる。」と私に泣きついたのです。
そこで私は教義を破り教会を離れ、(その時わざわざ愛されないようにつるっぱげに髪を刈り取られた)息子を無理矢理連れ帰り、一人で息子の人権をかけて弁護士と戦ったのです。

そして、キリスト教から離れてからもスメット神父とは電話で話しております。
「私は広島司教区はかなりいかれていると思います。
ホームページ(当時)を見るとゾッとします。
はっきり言って神父様達はかわいそう。シスター達はかわいそう!
愛し合う喜びを禁じられるなんて!
あなたは一目で私がどんな人間か分かり、私を祝福しに来られた。」と私が言うと、スメット神父は、「そうなんだよ!君は本当にいい子なんだ!」と言われ、私の持っていた神父から頂いたイコンは家から盗まれたのだと言うと、「いつでもおいで、君にならいくらでもあげる。」とおしゃったのですが、ついに私はそんな厚かましい事はせずに関東に出て行き、神父は他の教会に移転され、数年前に亡くなった事を知りました。

スメット神父には心からお悔やみを申し上げます。


磔のキリストと聖母、そしてマグダラのマリア。(5号分)(全体に金色を塗って、アクリルで仕上げています。)

私は入院中、院内でイコンを描いていました。
イコンは信仰の元に描かねば本物ではないとハリスト正教会の案内の信者さん(神父さんかも)に教えて頂きました。

私は二度目の結婚をすると洗礼は受けられない掟を知らずに、洗礼を受けたひょっとするとただ一人の人間かも知れません。

しかし今は私は仏教徒、以前と同じく禅の信徒です。

ムッシェ神父はカタコトのフランス語だけ、私に教えました。